2006.6.1

 

藤竹 信英

(編集:菅原 努)

 

50. 東山三十六峰漫歩 第二四峰 双林寺山

 


 【 第二十四峰 双林寺山 】

 東山三十六峰のなかで双林寺山は円山とともに極めて目立たない山である。贔屓めに見ても小さな岡に過ぎない。現在の双林寺は円山公園の南の端のある小さな天台宗のお寺である。創建は平安朝の初めで、この地は唐土の沙羅双林寺に似るところからかく名付けられたもので、往時は寺運栄え境内も広く多くの塔頭支院を有したが中世に至り衰微する。室町初期国阿上人によって再興されたが、応仁の乱により再び衰退し、明治初年円山公園が設けられるに及んで寺地の多くを上地せしめられ、いまは本堂一宇のみを残す。本堂の薬師如来座像は貞観仏で一本彫成の量感ある見事なものである。

 本堂前傍らに平康頼・西行・頓阿の供養塔がひそやかに鎮まる。治承二年(1178)、鹿ヶ谷談合の廉で捕らえれた平康頼は喜界ヶ島より赦されてこの地に帰洛し

   ふる里の軒の板間の苔むして思いしよりももらぬ月かな

と述懐した。西行法師は諸国行脚の後、この地にあった塔頭蔡華園院に来り、しばし杖をとどめて

   願くば花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月の頃

と詠んだが建久元年(1190)河内の弘川寺で入寂した。室町時代の和歌の四天王の一人である頓阿上人もまた西行を慕ってこの地に来住し当寺で没した。

 西行庵は双林寺の西南に位置する。茅葺の草堂で内に西行・頓阿二法師の像を安置する。西行桜は堂前にある。花を愛し旅に死んだ西行を偲んでのちに植えられた桜であるが、今のは何代目かに当る。毎年四月第二日曜日には全国の歌人達が集まり、花の下で西行忌がおこなわれる。

 芭蕉堂は西行庵の西隣にある。芭蕉は西行の跡を慕って諸国を行脚してこの地に来り、かって西行がこの地の阿弥陀房の庵室を訪れて

   柴の庵と聞くは賤しき名なれども世に好もしき住居なりけり

と詠んだ歌を偲んで

   柴の戸の月やそのまま阿弥陀房

の一句を吟じた。この句に因んでのちに門人達によって造られたのが芭蕉堂である。堂は藁葺で、傍に芭蕉を植え、高さ八寸許りの芭蕉翁の木像を安置した。この像は翁の愛樹の桜の木を門下の五老井許六が彫ったものである。毎年十一月十一日には芭蕉忌が営まれる。

 芭蕉堂の北向い、野外音楽堂の片隅に『池大雅堂址』の石碑が独り頼り無げに姿を覗かせている。この池大雅という人は近世文人画の名手であるが、とにかく奇人の名をほしいままにした人である。大雅が勧められて八坂神社の境内で画扇を鬻ぐようになったのは延亭三年(1745)、23才の時である。ところが画はさっぱり売れない。近くに茶店を営む傍ら短冊に歌を書いて内職としていた百合女が自分ばかり繁盛するのを気に病んで大雅の絵を求めてみた。それがあまりに優れていることに驚き、才能を見込んで娘の町(まち)の婿にして、付近の下河原に住まわせた。八畳ばかりの座敷に取次の間だけの狭いものである。これを葛覃居(かつたんきょ)と称した。大雅が三味線を弾いて唄うと、妻玉瀾は筝を弾じて合奏し、ともに楽しんだという。彼女も画才にめぐまれ、夫に画を学び、和歌は冷泉家の教えを受けた。大雅は安永五年(1776)、54才で没している。門弟達は大雅を偲んで葛覃居に近く大雅堂を建立し、その雅趣を伝えんと試みたが、明治36年(1903)円山公園整備の犠牲となってすっかり姿を消し、前述の石碑を残すだけになった。

  たいがどう ここに ありきと ひとひらの いしぶみ たちて

  こだち せる かも            会津八一

  玉瀾と大雅と語る梅の花          漱石

 祇園女御塚は大雲院の大きな敷地の北隣にうっかり取り残された小さな荒れ地のように見える。通りに面して小さな古ぼけた阿弥陀堂のような建物があるが、これも今にも潰れそうである。夕暮れともなれば何かが現れても不思議でない雰囲気をもっている。以前は双林寺境内の西北の隅だったと思われる。字名(あざな)を「女御田」と称した。古くから白河法皇の寵姫祇園女御の屋敷址または女御建立の仏堂址と伝え、この地を耕すもの、必ず祟りあり、と恐れられた。久しく空地であったが、現在、篤志家により小さな五輪石塔が建てられている。『平家物語』などによれば、白河法皇祇園感神院へ参詣の砌、道のほとりの美しき女を見初められ、宮中に召し入れ常に近づけ参らせた。祇園社の巽の地に住まわせ、世にこれを祇園女御と称した。女御はのちに平忠盛の後室となり清盛を生んだといわれるが、一説に清盛の生母は女御の妹にして、清盛三才の時世を去り姉の女御が猶子として養育したともいわれ、その真偽は定かでない。全く別説として、この地は三条天皇中宮研子(けんし)、または一条天皇中宮彰子の火葬地ともいわれ、とかく、むかしからおどろおどろしい話題に事欠かぬところといえる。