2002.7.1

 

藤竹 信英

 

5. 白河法皇の寵姫祇園女御の塚

 


 円山公園から高台寺に通じる道は京都でも名所旧跡の多いところであるから、季節がよければ、訪れる人の絶えることのない所である。この道の途中にある市音楽堂の向い側、道に面する西側に小さな阿弥陀堂があり、そのうしろに当って方三間ばかりが空地になっている。以前は草茫々とした荒地であったが、近年篤志家の尽力により空地を整理して樹を植え、祇園女御塚と記した卒塔婆や標識を立てるなど面目を一新している。

 この付近には長楽寺をはじめ双林寺、あるいは芭蕉堂や西行庵などがあって、真葛ヶ原の中でも一等地なのだが、それにも拘わらず今にいたるも空地のままに放置されているのは、それにはまたそれなりの理由があった。ここに触ると必ず祟りがあると言われ、昔から誰も手を付けようとしなかったのである。昔 双林寺の若い僕(しもべ)がここにあった石を無断で持ち帰ったところ、その夜、俄かに高熱を発して、七転八倒の苦しみ、間もなくここの地主の祟りであることを知って、あわててもとの処へ返したので、程なく治ったという。それと言うのもここは白河法皇の寵姫祇園女御の屋敷跡とか、またはその塚だと言われているからで、それに就いてこんな話がある。

 白河法皇、祇園感神院(八坂神社)へ参詣のみぎり、路傍に佇んで御幸を拝する妖しげな女を見初められて、すぐにこの女を宮中に召しあげられ、それから後は常に玉体に近づき参らせ給うと言う御発展ぶりであった。そのうちに宮中では人の口がうるさいというので、祇園社の東南にしゃれた別宅を作り、そこに女を囲われたから、世間ではこれを祇園女御とよんだ。

 五月雨の降るある暗い夜だった。法皇は北面の武士数人をお供に、今宵も女御を訪ねて別宅に近い御堂のそばまで忍んで来られた。そのとき、前方に当って闇の中に光るものがある。一行は闇を透かしてみると、頭の毛は針のようにそば立ち、槌と光るものを手に持った怪し気なものが動めいているではないか。これをみて法皇はびっくり仰天、「あれは鬼ではないか。手に持っているのは打出の小槌じゃ、誰か斬り捨てるなり、射殺すなり、始末せよ」と仰せられる。其の頃、平忠盛はいまだ北面の下郎として、法皇のお伴に加わっていたが、法皇の命令に勇躍して怪物逮捕に立ち向った。だが待てよ、相手はどうも強そうにも見えぬ。殺すのはおとなげない。生け捕りにすべきだと、うしろから、むんずと組みついた。果たせるかな、鬼とみたのは老人の社僧であった。よく見ると頭に被っていたのは雨除け用の藁を笠にしたものであり、手に持っていたのは油の入った手瓶と灯明の火を入れた土器(かわらけ)で、御堂にあかりを供えようとして出てきたのを、灯火の反映によって鬼と間違えられたのであった。法皇は、
 「こんなことで人を射殺したら、さぞかし残念なことであったろう。忠盛の振る舞いはまことに思慮ぶかいことであり、また弓矢をとる身でありながら優しいところがあるわい」と大変なお褒めに預り、あげくの果てに褒美として法皇最愛の祇園女御を下賜された。だがこのとき女御はすでに妊娠中であった。それで、法皇は、「女の子が生まれたら朕の子にしょう。男の子であったら忠盛の子として育てるがよい」と仰せられた。忠盛は瘤付きで、使いふるしの女を賜ったわけだが、法皇の御下賜とあればいやとはいえず、平身低頭、有難く頂戴仕ったのであった。

 やがて月満ちて男児が生まれた。早速に御報告申そうとは思ったが、そこは身分の低いこととて容易に申し上げる機会もない。そのうち法皇が熊野へ御幸されることになり、忠盛も其のお伴の一人として随行することになったから、よき機会があればと思っているうち、紀伊の国糸鹿(いとか)坂で法皇がしばらく休息された。そのとき道のそばに薯蕷(やまいも)のつるに零余子(めかこ)が玉を連ねたように生い育っているのを面白く御覧になり、忠盛を召して、あの枝を折って参れと仰せられた。忠盛はその枝を折っての前に進み出て

いもが子は這ふ程にこそ成りにけり

と一句の連歌を奉ると、法皇は頷いて、

ただもり(忠盛)とりて養ひにせよ

と付けられた。そこで男児は正式に忠盛の子として「戸籍」に入れ、育てることにした。ところがこの子がよく夜泣きをして忠盛を困らせているということを聞かれた法皇は、

夜泣きすとただもりたてよ末の世は清く盛ふることもこそあれ

と御詠みになったので清盛と名付けた。清盛は十二歳のとき兵衛佐となり十八歳のとき四品として四位の兵衛佐に昇進、二十歳で肥後守、二十九歳で安芸守となり、保元・平治の乱後は急速に栄進し、遂に従一位、太政大臣となって藤原氏に取って代わって平氏政権を確立した。これというのも清盛が白河法皇の落胤だったからだと世間の人々は噂しあった。

 これは『平家物語』、『源平盛衰記』にかかげる記事を要約したものである。