2006.3.1

 

藤竹 信英

(編集:菅原 努)

 

47. 東山三十六峰漫歩 第二十一峰 華頂山(かちょうざん)

 


 【 第二十一峰 華頂山(かちょうざん) 】

 春になると円山公園の隣にある華頂山も桜の花におおわれる。古くから桜の名所として人気の山であったから、この名が付けられたのであろう。この山のほとんどが知恩院なのである。

 さて、七の数の信仰は我国でも親しまれており、弁慶の七つ道具、七堂伽藍、七福神やら人は死ぬと四十九日の間、魂が屋の棟を離れぬという事も七の倍数である。我国では陰陽道と仏教思想を混合して、七の数に一つの霊があると考えたのであろうか。各地にある七不思議もこの七の信仰の一つの流れで、特に越後の国には七不思議が七つもあり、四十九不思議になるといわれているが、京都でもそれに劣らず、各寺に多くの不思議が残されており、この知恩院でも十八を数え、決して少なくないようである。以下、順を追って述べるが、印は本山での定説を示している。

〇(一)忘れ傘−本堂正面東寄りの屋根下にあって、今は紙は破れ骨だけになっている。左甚五郎が魔除けのため、わざと忘れたと伝わるが、実際は寛永十六年の再建の際霊巖上人が弥陀の六字を記して火災除けとしたものである。

〇(二)真向の猫−大方丈の裏側に置かれた杉戸の絵で、正面から見ても左右どちらから見ても真向に見える。

 (三)棟の大瓦−御影(みえ)堂の棟の上に二枚の大瓦が見える。まだ完成しない印で、見事に完成すれば魔がさして不吉が起るのを予防するためと考えられる。一説に徳川家に対し、まだ完成していないから援助を願う方便ともいわれている。

〇(四)抜け雀−大方丈菊の間の襖絵、万寿菊の上に数羽の雀が描かれていたが、あまりよくかけていたので飛んで逃げてしまった。以前はその跡が残っていたが、現在ではよく判らない。

 (五)無銘塔−阿弥陀堂の北にある。重量感のある五輪石塔であるが、誰の墓なのか分からないので七不思議の一つになっている。一説には奈良極楽寺の忍性上人の墓とも、謡曲にみえる自然居士の墓ともいわれる。一つには忌明(いみあけの)塔ともいわれ、昔は服喪の人が忌明けの日に参詣する風習があった。

〇(六)鶯張の廊下−集会(しゅうえ)堂は本堂の背後にある。俗に千畳敷とよばれる四百五拾 畳敷の大集会所で、本堂と集会堂と大方丈をつなぐ参百間からの廊下が全部鶯張という。その廊下のどこを歩いてもキュキュと妙音を発し、さながら春鶯のさえずりの如きである。 

 (七)五本松−三門の東の広場には根本が一本で五岐のわかれている松がある。

 (八)鉄盤石−三門下の右手、女坂迄の処に井戸があり、その近くには、三条小鍛冶宗近が刀を鍛えた時の台石、乃ち鉄盤石が残されていたといわれている。その行方は現在不明である。

 (九)不断桜−御影堂の裏に四季咲の桜があった。不思議がられていたが、今はないようである。

 (十)一葉の松−御影堂と阿弥陀堂との間にある松の木に一本葉のものがあるといわれている。

〇(十一)大杓子−小僧さん二人で舁ぐ長さ一丈、先の大きさ三尺四寸の大きな飯杓子がある。昔関ヶ原合戦で、真田幸村が兵士のため御飯をたかせ、三好清海入道がこの杓子で軽々と御飯をよそおったという伝説がある。大方丈への渡り廊下の屋根裏に挿し込んである。

 (十二)賀茂明神影向(ようこう)石−山上の勢至堂の東にあり法然上人御臨終の時、下鴨明がこの石の上にお姿を現したという。

 (十三)笙の音のするお扉− 御影堂の上人の木像を安置してある大厨子の扉を閉するたび、笙の笛のような音がする。

 (十四)見え隠れの経蔵−御影堂の東にある経蔵が見えたり見えなかったりするのがある。この経蔵の前に草履を脱ぎ棄て、三辺廻るとこの草履が無くなるとも、狐火が見えるとも云われている。

〇(十五)棺の中の木像−三門の楼上、中二階にはこの三門を建てた棟梁五味金右衛門夫妻の木像を棺箱に納れて安置している。これは棟梁金右衛門が引受けた設計より格段雄大な三門を造ったため多くの職人に支払う金がなくなった責任をとって夫妻は自刃して果てたという。それを悼んでのことと思われる。

 (十六)寺務所の神棚−浄土宗の寺には境内に神様が鎮守として祀られている。本山の寺務所の高い処に神棚があるのが外来者の注意をひいている。

〇(十七)瓜生石(かしょうせき)−黒門の前に石棚を設け、中には岩がある。これは祇園牛頭天王が瓜生山に降臨せられ、後再びこの石に来現されたのである。そして一夜にしてこの岩の上に瓜が生繁り花が咲き、その葉の中に「牛頭天王」の小額が隠されていたので、これを祀って粟田神社の瓜鉾ができた。今も粟田祭にはこの瓜鉾が巡行する。なおこの石は地軸から生えているともいう。

 (十八)親鸞逆さ杉−黒門の南崇泰院の裏には昔親鸞上人の御廟があった。以前、此処にあった老杉は「親鸞逆さ杉」といって上人が逆さに突き立てた杉の杖が根を下ろしたものといわれるが、今は枯れて根だけが残っている。